HIRO Vol.2

- 2024.04.04

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──KOJIとの秘めたエピソードはありますか?

今まではあまり必要ないと思っていたので話してなかったけど…。ラクリマがブレイクしてから大きい会場でツアーをしている頃でした。あるとき、楽屋で僕の機嫌が悪くて。メイクが原因だったのかな。それでギターをバン!とテーブルに置いたら、その勢いで灰皿がひっくり返って吸殻が飛び散って。それでKOJIが切れたことがありました。「お前、何しとんねん!言いたいことがあるならちゃんと言えや!言わんかったら損するのは自分やで!」と、怖い顔で本気で言われました。僕も自分が悪かったのは分かっていたから、素直に「ごめんね」と謝ったら、その瞬間に表情が和らいで。ま、どっちが歳上なんだ、って話ですけど。

 

──叱り方もしっかり者ですね。

基本的にはしっかりしていました。だけど、KOJIは飲んだとき、たまにですけどメンバー1の破壊力を発揮することもありました。1年に1回もないけど。カラオケでSHOW-YAの「限界LOVERS」を絶叫してるのを何度か目撃したことがあります。暴れるとか、そういうんじゃなくて、スタッフと盛り上がって騒ぎまくるって感じでした。

 

──破壊力を発揮した次の日はエネルギー切れ?

それがそうでもなくて、案外ちゃんとしてました。とはいえ、たまに泥酔することもあって。デロデロに酔った翌日、仕事前にKOJIの家まで起こしに行ったこともあります。ラジオ出演があった日でした。住んでる場所が近かったので車で一緒に行く予定だったのに、約束の時間になっても現れなくて。しばらく待って、さすがにマズい時間になったので家まで行ってみたら、玄関の鍵も掛けずに爆睡してました。基本はしっかり者でしたけど、たまに、本当にたまにそういうハプニングを起こしてくれていました。

 

──2005年にKOJIがLa’cryma Christiを脱退。あれは避けられなかったと、今も思っていますか?

あの時点での僕らでは無理でした。ちょうどラクリマの音楽性が変わる頃でした。後期のハードロック路線に舵を切る直前というか。KOJIはそれが嫌だったんじゃないかな。「今までのラクリマの音楽が好きだ」とも言ってたし。その当時、ツインギターをこの先どうしていこうか、僕自身が迷っていたのも事実です。画期的なアイデアもなかったし。今思い返すと、ギターを1人で弾きたかったのかもしれません。自分の子供じみたエゴが、どこかにあったのかも…。メンバーやスタッフも交えて話し合っても、いい結論は得られませんでした。

 

──それが2005年3月21日のZepp TokyoでのLa’cryma Christi “V”ですね。

ええ。ただ僕の場合、次のこと、具体的にはハードロック色を強めるサウンドに気持ちが向かっていたので、あまり乗り気ではありませんでした。

今、冷静になって考えると、もっと違う対処ができたんじゃないか、と思います。バンドを抜ける前にファンの方に向けてそういう場を設けるのは当たり前だと思っていたので。あの日のライブが終わった時点では、きっともう一緒に演奏することはない、と思っていました。ところが、ツインギターの1人、いわば相方がいなくなってしまうと、ツインギターを前提に作った曲を1人で演奏しなきゃいけないわけで…。それに違和感がありました。2007年のラクリマのラストライブでも、KOJIが弾いていたギターソロをそのままコピーして弾きましたけど、やっぱりしっくりこなかったです。ライブを観てくれたスタッフからも、そこは指摘されましたし。

 

──2005年KOJIはLa’cryma Christiを脱退してすぐにソロ活動に移行しました。1stソロアルバム「Primary Color」は聴きましたか?

KOJIがソロアルバムを出したと知って、急いで聴いたりはしなかったけど、あいつ凄いなと、あいつはあいつで前に進んでいるなと、純粋に思いました。僕もいつかソロアルバムを作ってみたい気持ちがありながらも、現実問題、どう動けば良いのか、何をどうすれば良いのかさえ分かっていなかったので。KOJIのソロアルバムを聴いたのがどのタイミングだったのか覚えてないけど、確かに聴きました。KOJIらしい音でした。

 

──2009年、KOJIを含む5人での再結成。翌年にはツアーも。

リハーサルスタジオにそれぞれ集合したときは、いつもの5人でした。でも、僕の中では「ちょっと早くない?」という思いがあったのは確かです。解散からまだ2、3年くらいしか経っていなかったので。そのときはKOJIから「全然変わってないな」と言われたのを覚えてます。でも、僕が自分で車を運転してスタジオに行ったのを知ったときはビックリしていました。ラクリマ時代までは僕は運転免許を持っていなかったから。KOJIは「あいつには絶対運転は無理」と思っていたんでしょうね。

 

──2010年のGUITAR STUDY 4や、2017年のKOJI & HIRO Joint Liveなど、同じステージに立つこともありましたが、お互いわだかまりはなかったですか?

なかったです。2人で当時の話をしたことがあって。そのときは「あの頃はお互い子供だったね」って意見が合いました。それは僕の本音でもあったし、きっとKOJIの本音もそうだったと思います。僕の中では、KOJIは自分で仕切って、自分が演奏する場を作って、おまけにMCまでやっているから、やっぱりちゃんとしたヤツだと思っていました。

 

──KOJIと最後に会ったのはいつでしたか?

2人のファンを集めた旅行を計画したことがあったんです。2017年だったかな?その打ち合わせの日、KOJIが何故か機嫌が悪くて。僕にはその理由がいまだに謎のままです。で、KOJIが先に席を立ってしまって、結局合同のファンイベントは実現しませんでした。でも僕は「またチャンスがあればね」ぐらいの気持ちで。でも、それがKOJIと直接会った最後になりました。だから、後悔というのとは違うけど、もう少し連絡すれば良かったのかな、とか思う自分もいます。でも、病気が進んでいるとき、たとえ電話しても「大丈夫」「頑張れよ」とか、そういう言葉は言えなかったかもしれないし…。でも、近いスタッフから亡くなる前の様子を聞かせてもらって、「強いヤツだった」と思いました。自分が同じ立場なら、できなかったです。

 

──天国のKOJIに何を言いたいですか?

もしもお前が今まだ元気でいてくれたら、またラクリマの曲を演奏したいと、俺は思わなかったかもしれないってこと。5人揃ってというのではなくて、あのときみたいに2人でラクリマを演奏するチャンスがもっとあれば最高だったなって、ことですかね。あと、僕もいつか向こうに行くわけだから、あっちで会ったら、「おい、歳の順だろ。順番は守れよ」と言いたいですね。

 

―KOJIへの思いを音楽にすることは考えていますか?

今の気持ちを音楽で表現するべきだと、アドバイスしてくれた方もいますが、なかなかそういう気持ちにはなれません。それでも、何年後か分からないけど、いつか今の気持ちを音楽で残せたら、とは思っています。でも、正直まだよく分からないんですよ。それが今の正直な気持ちです。自分が悔しいのか、悲しいのか、寂しいのかさえ、まだ分からない。この現実を前向きに捉えるなんてことも無理だし。そう考えたら、KOJIへの気持ちを音楽にするのは、あいつが僕に遺してくれた宿題なのかもしれないです。