HIRO
- 2023.04.12
あれからが1年になるけど、正直、まだよくわからないんです。ラクリマ・クリスティを脱退したときも、バンドが解散してからも、ライブとか、個人事務所の運営とか、ある意味、一番まともに活動をしてきたヤツだったし、創作や表現という点で一番頑張ってるヤツなのに、なんでこんなことになのか、考えても考えても答えが見つからないんですよ。部屋に写真を飾って、お花も飾って、話しかけたりするけど、なんか照れくさくて…。どっかからKOJIに見られているみたいで。「何やってんだよ、柄でもないことして」って冷やかされそうな気がします。
亡くなる前、病状がかなり厳しいのは知っていました。ただ、自分に何ができるかわかりませんでした。KOJIならきっと大丈夫って気持ちと、最悪への心がまえの両方が同じ割合だった気がします。「あいつは大丈夫」って自分に言い聞かせて電話しなかったのか、電話できなかったのか、それも自分のことなのにまだよくわからないんです。逃げたのか、見守ったのか、よくわからないんです。
それでも今、少しずつソロでKOJIの曲も演奏するようになっています。ファンのみなさんが心の中でKOJIを思い続けてくれるだけでも嬉しいんだけど、僕は思い続けていることを外に向けて表現したいと思ってます。亡くなった直後は、自分がKOJIの曲を演奏していいのかどうかもわからなかったので、ご遺族をはじめ、関係者の方々にも相談して、「やってほしい」というお言葉をいただけたこともあって、ちょっとずつだけどやり始めています。
そこでいろいろな気づきがありました。この曲はこういう意図があったのか、ここはこういう組み立てになってるのかと、ちょっとずつ細かいところがわかるようになってきました。こうやって曲を彩って、歌を引き立たせていたのかとか。僕のギターを支えてくれていたポイントにも改めて気づきました。
90年代の僕は、俺が、俺が、だったと思います。「KOJI、これ弾いてくれ」と、フレーズを指定することだってあったから、僕にムカつくこともいっぱいあったはずです。そういうときだって自己主張を抑えて、僕のギターがより一層輝くために支えてくれていたり、僕のギターとリズムを取り持ってくれていたり。メンバー一人一人をつないでくれていたり。今になってハッキリわかるようになりました。もしかしたら「遅いよ」と、KOJIは苦笑いしているかもしれないですね。
この1年間、ラクリマ・クリスティの追悼コンサートをやって欲しいって声が各方面からあったと思います。確かにKOJIを応援してくれたみなさんには、それが一番なのかもしれないってわかっているし、僕にしてもそこでKOJIのギターが鳴っているのであれば是非やりたいですね。でも、KOJIの音が鳴っていなかったり、誰か違うギタリストが代役を務めたりするのなら、まったく参加する気になれません。逆に言うと、軽々しくやっちゃいけないんです、これだけは。残った4人の状況や気持ち、こだわりとかのチューニングがちゃんとビシッ合ったときに実現できるのかもしれないですね。
追悼コンサートがすぐに実現しなかったとしても、僕がKOJIを忘れることはないし、10年経っても、20年経っても、KOJIの曲を演奏し続けると思います。忘れないぞ、思い続けてるよって、KOJIに伝えたいから。今、僕にわかってることはそれくらいです。KOJIを失って悲しいのか、悔しいのか、寂しいのか…。正直、まだよくわからないんです。