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あなたとKOJIのつながりをー
KOJIとあなたとの物語を下記のフォームよりお寄せください。掲載させていただく場合は匿名表記となります。
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- 未来航路
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ラクリマの曲の中で一番好きな曲です。 いつ聴いても心が暖かくなります。 Kojiさんずっと大好きです。
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- KOJIさんとの、忘れないliveの思い出。
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With-youと未来航路の間でファンになり、25年。私はLEVINさんのファンですが、KOJIさんのことも同じくらい追いかけていました。忘れられないLIVEは…2012年6月3日のLEVINさんお誕生日の中野サンプラザ。一歳になる娘を実家に預けて、友達と行きました。LEVINさんに、2000人を超える「お誕生日おめでとう!!」の声のプレゼントを送ったのはKOJIさんでしたね。その後急いで帰ったら「ママぁーッ」とギャン泣きされました(笑)夢のような時間から、日常に一瞬で引き戻されたときでした。そんな娘も大きくなり、人生で初めて行ったALvinoのLIVEが解散LIVEの日本橋三井ホールでした。そのLIVEも忘れられません。アンコールのとき急に泣き出したんです。「こんなにかっこいいLIVEが最後なんて…!」と。これからももっとたくさん、KOJIさんの音楽を家族全員で楽しみ、ALICEINMENSWEARのLIVEにも一緒に行きたかったです。La'cryma Christiのメンバーをはじめ、KOJIさんの残した楽曲を愛する方々と、気持ちは共にありたいと思っています。ステージ上でキラキラしているKOJIさんの笑顔を、いつまでも忘れることはありません。
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- このような場所を設けてくださりありがとうございます
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KOJIくんへ 中学生の時、TVでたまたま観た『南国』の曲がとても良かったので『Sculpture of Time』を買ったのを今でも覚えています。 イヤホンで右からHIROさん、左からKOJIくんのギターが聴こえて混ざり合ってツインギターってこんなに素敵なんだ!と、とても衝撃を受けました。 (他にも好きなバンドでツインギターの方がいたけど、こんなに良い!!と思ったのはラクリマが初めてでした) あの時受けた衝撃は忘れられません。 関西弁でわちゃわちゃ話すおちゃめなところ かっこいいから普通は調子に乗っちゃうのに、芯の部分はとてもしっかりしていてファンをいつも大切にしているところ 甘くて優しいギターを弾くところ 本当に大好きです。 そして訃報を聞き、周りに悲しみを分かち合える友達がいなくて一人で泣く日々が続いたとき、 SNSを通じてたくさんのKOJIファンとつながることができました。 悲しんでいる私たちを見て、KOJIくんが縁をつないでくれたのだと思っています。 おかげさまで今はその友達とKOJIくんの話を楽しく話していて、私も笑うことが多くなりました。 天国に行ってしまったのはとても悲しいけれど、ALICEのサイトに載せてくれたメッセージ 『自分はどんなに体調が悪くなっても心の中には幸せが溢れています。』 という言葉、とても胸に響きお守りにしています。 私も一日一日生きられることに感謝して、楽しく過ごしたいと思います。 そして、これからもずっとKOJIくんが作った音楽を聴いていきます! 本当にありがとう。 最後にこのような場を作ってくださった運営の方々 La'cryma Christiのメンバーにも心から感謝致します。 メッセージを読んでとても心が洗われました。 メンバーはこんな思いだったんだなと知ることができて、ひとつひとつの言葉で悲しみが癒えるのを感じました。 本当にありがとうございます。 ずっとずっと大好きです。
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- 青春をありがとう
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中高校生のとき、友達とたくさんライブに行って、すてきな演奏をたくさん魅せてくれたラクリマ。さわやか王子様。ステージのKOJIくんを今でも鮮やかに思い出せます。 40歳になり3人の子どもができ、高校生になったばかりの長女とラクリマを今でもきいています。全く色褪せることのない最高の音楽をこの世に残してくれて本当にありがとう! 心に穴が空いた感じは消えませんが、PVなどたくさん残っているので感謝です!どうか天国でもすてきな音楽を続けて、またそちらの世界で出会えたときファンさせてください!
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- モゲ
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ラクリマと出会って、KOJIさんと出会って20年以上が経ちました。ラクリマは私の人生には欠かせない存在であり、ラクリマを通じて仲良くなったファンの方とは今だに交流があり大切な仲間、そして初めて「友達っていいな」と思えた仲間であります。 ラクリマのライブ映像を見ながらビールを飲むのが今でも至福のひとときです。 いつも思うのが、どの楽曲も体に馴染むし安心して落ち着いて聞ける。 ボーカル、ギター、ベース、ドラム、コ−ラス全ての音のバランスが良くてとても心地良くて。 他のアーティストさんの楽曲も聞くのですが、この感覚になるのは今まで42年生きてきてラクリマだけでした。 不思議な感覚。 高校生のころはラクリマのラジオを聞くのが楽しみでした。ラクリマクリスティのラブパレードだったかな? 本格的にファンになるきっかけのラジオで毎回聞いてました。 本当に楽しくて楽しくて、翌日に同じ学校のファンの友達とこの話をするのもまた楽しくて。 ラクリマのライブに行っていたころが自分の人生で一番「正直に本気」に生きていた気がします。最高の青春時代でした。 KOJIさんと出会えたこと、ラクリマと出会えたことは一生の宝物です。 KOJIさん、ありがとう!
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- はじめてのギター
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私は、KOJIさんを、全く存知上げておらず、 悲しい知らせの後に、出逢いました。 夏に、CD屋さんに行ったときのこと… 探していたものはなく、帰ろうと思いましたが、併設の楽器コーナーに、まるで私にアピールするかのように、たくさんのギターが、並んでいるのが、目に飛び込んできました。 「せっかくだから、見てみようかな、見たことないし…」 「KOJI少年も、これからはじまる、ギター人生の1本目は、どれにしようか、行ったり来たり悩んだ末に決めたのかな〜」と、光景まで想像したら、微笑ましく感じました。 そんな私に、 「ギター、始めるんですか?よかったら、持ってみませんか!」と、店員さんの声が。 「KOJIさんを知ることがてきるかもしれない」と思い、そうさせていただきました。 ずっしりとした重さと、弦の弾力… 涙が溢れてしまいました。 なれなかったのですが、私は、小さい時から、KOJIさんがなってしまった病気の専門の看護師になることを決めていました。 きっかけとなったテレビドラマがあり、感じたことは、「患者さんもかわいそうだけど、のこされた人の方が、もっとかわいそうなんじゃないか」ということです。 のこされた人には思い出が鮮やかに残る。 これが、残酷だと思うのです。 だって、のこされた人がほしいのは、旅立った人の、聞き慣れた声、あたたかい手、大きな背中…と、100%きちんと認識できるものだと思うのです。 だけど、それがなくなってしまった… これらを、KOJIさんとみなさんとの関係で考えても、あてはまる部分があるのではないでしょうか。 楽器屋さんでの出来事から数ヶ月後… 作品を聴いていたら、ギターを弾いてみたいなと思い、習いに行くことにしました。 ずーっと弾いていたくなる、虜にさせる魔法を持っていますね。 中学生で英語の授業が始まり、教科書に、 「He plays the guitar very well」という文が、絶対ありましたよね。 KOJI少年は、どんな気持ちで読んだのかな〜 そし て、ただ、英語を学ぶためにしか発していなかった「guitar」という単語も、未来には… 「I practice playing the guitar」と言うようになる日が訪れるとは、思わなかったですね。 私のはじめてのギター 悲し出逢いでしたが、あの楽器屋さんから放たれたアピールは、きっと、KOJIさんが並べ替えたかもしれませんね! 「楽しいものが、ここにあるよ!」と言って…
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- ありがとう
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KOJIがもういないなんて、今でもまだ信じられないです。 また、5人のライブを見に行くことが出来たらなって思うと、涙が出てきます。 KOJIありがとう。 素敵な曲を残してくれてありがとう。
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- 彩り
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初めて聞いたのはwith-you。特にギターソロが一発目で好きになった。 その後発売の未来航路で独特のギターリフの虜になった。 誰が弾いてるのか、調べて、そこからバンドも好きになって、友達とラクリマと青春を過ごした。 大学ではギターもやってた。才能と努力が足りず、あなたみたいには出来なかったけど。 でもあなたは私に音楽の楽しさや、のめり込み方を教えてくれた。常に寄り添ってずっと居てくれる。私のプレイリストにはいつもあなたの音楽が必ず一つある。それは多分、私が死ぬまで変わらない。 孤独な時も楽しい時も、寄り添ってくれてありがとう。日常に色を足してくれる芸術家なんだよね、当然だよね。 でも感謝したい。ありがとう。
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- 優しくて大きな手
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まるで爽やかな風が通り抜けるような彼がついに天国へ旅立ったとの知らせを聞いたあの日、何年分の涙をこぼしたか分かりません。 また一緒にお誕生日を祝えると思っていました。 毎年私の誕生日が過ぎた頃に、すぐKOJIさんのバースデーライブでお祝いをしていたから。 握手会の時、誕生日が近くて色々分かり合えて嬉しい、と気さくな関西弁で嬉しそうにお話しして下さったのを覚えています。 あの優しくて大きな手の温もりは忘れられません。 私にとってKOJIさんは人生の先輩であり、若く貴重な時を共に過ごした恩人だと思っています。 彼が音楽に乗せて伝えてくれた大きな愛と、キラキラ輝く笑顔と共にくれた温かい言葉の数々は私にとってかけがえのない宝物です。 心が荒んだり落ち込んだりした時も、いつもKOJIさんの穏やかながらも気さくな振る舞いに癒されてまた明日もがんばろうと思えました。 感極まって私がライブで泣いている時は、少し心配そうにしながらギターを弾いていらっしゃっている気がしました。 いつでも彼の気遣いと大きな優しさに助けられ、生きてきた気がします。 会えなくなる日が来てしまってもあの日沢山一緒の空間で時間を共にした大切な時のこと、まるで昨日のことのように一つ一つ思い出せますよ。 早くも一周忌となりましたが、彼が遺した素晴らしい曲達を聞きながらいつかまた会えるその日まで精一杯生きようと強く思います。 今は天からきっと、笑いながらあの日みたいに… 優しくて大きな手でギターを弾きながら見守ってくれているよね。
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- 大好きなKOJIさん
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初めて聞いたのはBSでやってたsweet tranceだと思います。 当時小学生、南国を聞いたのが出会いだった気がします。 録画してなくて、pierrotのファンだったクラスメイトが、ラクリマ好きなの?とVHSを貸してくれたのが始まりでした。 初めてのライブはLhasa。仙台のホールの最前列が当たってしまい、小学生の自分はどうしようとオロオロ。 従兄弟に頼み込んで一緒に行ってもらいました。 こんなに近くにラクリマが存在している、美しい音楽がグサグサ刺してくる。忘れられない感覚でした。 メンバーのコスをしたお姉様方と写真を撮ってもらったのだけが、あの日夢じゃなかった証です。 そこから解散まで、ずっとずっと聞き続けてました。ツインギターが美しくてずっと聞いていたくて、イヤホンを片耳ずつにしてHIROさんとKOJIさんのそれぞれの音を聞くのが好きで。 ギターなんて全然弾けないのに、音を聞くことが大好きだったんです。 大学をシアトルで過ごしたのですが、ロックの街なのでギター人口がとても多くて、家に来た友だちや日本好きの友達にラクリマを貸しまくりました。 なに?このギター。変態だね!って色んな人に言われました。でしょ?!と、嬉しくなってしまいました。そういう人たちは皆、HIROさんとKOJIさんのギターのコピーに必死だったからです。 結婚式は、入場曲から全てKOJIさんのインストでした。 私と、KOJIさんのファンだと知っている親友しか知らない美しいギターの音に包まれて、幸せでした。 ALvinoとしてのKOJIさんも大好きでした。地元仙台でのライブは欠かさず行きました。 鬱で死にそうな時も、震災の翌年に来てくれた時も。妊娠して、臨月の時、もしかするとこれからは少しライブにくるのがお休みかな、という時も。 いつも頑張れるパワーをもらいました。 ALvinoがなくなってしまってからは、少しKOJIさんの音楽から正直離れてしまってました。 そしたら、お引越しされてしまいました。 あれから一年。まだKOJIさんの音楽は聞くことができていません。 あまりにも音色が美しくて、聞いたら悲しみで上書きされてしまいそうで。 もう少し時間がいるかもしれないけれど、いつも頭の中では思い出して、鳴っています。 ちゃんと自分の中で消化できたら、必ずききます。DVDで演奏も観ます。 ずっとファンです。
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- 先程送ったメッセージ
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誰も寄り添ってくれず傷ついたと書いてしまったのは、少し違いました。夫は追悼ライブのために送迎してくれたので、感謝しています。でも、芸能関係にそこまで心が動くのか疑問に思う所がありまして、細かくは理解できないという事は仕方がないと思っています。当時のラクリマ愛の仲間で集まって思い出話ししたいです。こんな個人的な書き込みですみません。
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- 中学生の頃のヒーローです。
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身内が亡くなれば周囲の人は寄り添ってくれますが、好きなアーティストが亡くなって悲しみを共有したくてもできない事に傷付きました。書き込めるサイトの開設ありがとうございます。ラクリマクリスティは中学生の頃本当に好きで、初めてライブに行ったのもラクリマでした。特にKOJIさんが好きで、ライブの時は何回もコールしていました。先日追悼ライブに行ってきました。その時に、25年ぶりくらいに名前を声に出したら、懐かしさとかその当時の事がブワっと頭に広がって急に情緒不安定になり、泣き出しそうなのを我慢しました。すすり泣く人を見ても自分は崩れないぞと堪えていました。ちゃんとサウンドを聴き逃したくなかったので…当時ラクリマの話題で盛り上がった友達はもう音信不通ですし、どこに気持ちを持っていったらいいのかよくわからないです。KOJIさんはずっとギターを引き続けると思って疑わなかったので、思い出す事はありましたが、ライブに足を運ぶ事もできなくて突然亡くなった事を知りました。先日追悼ライブで残してくれたギターのサウンドが聴けて本当によかったです。何回も見直して、徐々に現実を受け止めていこうと思います。
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- 王子連合
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ラクリマは知ってはいたけど、KOJIさんをちゃんと知ったのは王子連合の一員としてでした。 華麗なギタープレイと、ステージ上でキャッキャしてるところ、色々な姿を見せてくれました。 あながいたから、Takamiyソロ第2期は素敵なライブになったのだと思います。ありがとう。
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- KOJI さんへ
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KOJIさんが亡くなって、1年が経ちました。 KOJIさんが食道がんを患っていることをネットのニュースで、知りました。 子育てが忙しくなり、自分の生活だけで、精一杯なとき、音楽を聴く余裕すらなくなって、いつの間にか、随分遠くに、自分がいたことに、KOJIさんが旅立ってから気がつきました。 亡くなったことが分かった次の日から、もっとKOJIさんのギターに触れたくて、もっとKOJIさんを感じたくなって、沢山、音源を聞いたりYouTubeを見たり、近くに感じられるように、こんなに大好きだったことに、改めて気がつきました。KOJIさん、素敵な音楽をありがとうございました。また、会いたくなったら、会いに行きます。
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- KOJIさんに会ったことないんです
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私はKOJIさんにお会いしたことはないんです。小学校からラクリマクリスティーの曲が大好きで、 KOJIさんがカッコいい‼️ KOJIさんのギター弾いてる姿かっこいい‼️ いつかKOJIさんのようにギターが弾けるようになりたい‼️ って思って高校生のとき、ようやく貯めたお金でギター買ったりしてました でもいつのまにかラクリマクリスティーから離れ、KOJIさんを追うことから離れてしまった 一度アルビノの時に地元にきたけど「また会えるよね」って思って数年後KOJIさんが癌だと知り「治療してまた戻ってきます」って言ってたから大丈夫って思ってたんですけどそれから数年後自分の誕生日に知らされた訃報。 とても後悔しました。「どうして私は手を離してしまった❓どうしてあの時会いに行かなかった❓どうして、どうして」心底自分を責めました。 でも遺影となった写真を見て、「今までのKOJIさんの中で1番いい表情をしているな」と思ったんです。 KOJIさんが最後にいた「ALICE IN MENSWEAR」とはなんだろうと思いその扉を開きました。 そこでのKOJIさんはいつも楽しそうで、音楽に対する姿勢も以前より変わらないどころかもっと芯が通っていて、優しくて 一気にその世界にハマってしまいました笑 色々後悔ばかりだったんですけど、今は彼が生きているときにもっと早く知りたかったと思っています。でもこれは悲しみの感情に塗れているわけではありません。 だってこれからもKOJIさんの曲や想いは私やみんなの中で生き続けていくんですもん。 会ったこともないし、皆さんのような素晴らしい思い出ではないんですけど、言葉がちゃんとまとまってない気もするんですけどKOJIさんには「ありがとう」それしかないです。 だからKOJIさんには最大の「ありがとう」を。
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- ずっと大好きなKOJI
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沢山のライブに行きました。沢山KOJIの名前を叫びました。新曲ができると仲間と手振りの練習してました。 地方に住んでいたのでライブは新幹線や特急を使って見に行ってました。 旅費の為に仕事掛け持ちしてましたが苦になる事はなかったです。 とても充実した日を過ごしました。 沢山伝えたい事ありますが、これだけは伝え続けたいです。 私の青春はKOJIでした。そして今もずっとKOJIが大好きです。 こらからもKOJIの事好きです。
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- 鎖骨フェチで変わった人生
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KOJIさん。私はKOJIさんにずっとずっと伝えたかった事がありました。この場を借りて伝えさせて下さい。 私がラクリマに出会ったのは今から約25年前、当時中1でした。そしてKOJIさんの大ファンになり、ラクリマが出る雑誌はほとんど買ってました。その中でKOJIさんが雑誌のインタビューで「鎖骨フェチ」と答えた記事があり、衝撃が走ったんですが、覚えてますか?(笑) 当時の私は、一般的に言う超デブ。だからそのルックスからイジメや陰口を言われるのは日常茶飯事。そんな中でKOJIさんの「鎖骨フェチ」を知り私は、「鎖骨見えるくらい痩せてやるー!そしてラクリマのライブに行くんだ!!」とその時に決意しました。その後二年かかり45キロ減量することができ、イジメや陰口もなくなりました。そして、そのタイミングで私の住む地方にもラクリマが来てくれて、夢だったライブに参加しました。3列目でKOJIさんとも目が合い、人生で一番幸せな時でした。頑張って痩せてよかったと。 現在は結婚して二人の子供も居て幸せな日々を送ってます。つい一週間くらい前、主人がいきなり「お前鎖骨だけはキレイだよな。笑」って言ってきたんです!もう、KOJIさんが言ってくれたんだと勝手に思ってます(笑)。雑誌のインタビューでKOJIさんが「鎖骨フェチ」と答えなければ、KOJIさんに出会わなければ、私の人生は今と全く違っていたとおもいます!KOJIさんにしたら何気ない一言だったとおもいます。でもその一言で、私の人生が大きく変わりました。本当ににありがとうございます!私はKOJIさんが亡くなったことはまだ信じられません。今も変わらず大好きです。またいつかライブにいきます!その時は鎖骨全開で行きますから待ってて下さいね!笑。KOJIさん本当にありがとうございました。
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- Home Sweet Home
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まだ私が中学生の時に、ラクリマに夢中になった。学生だったし、地方に住んでたから中々ライブには行けなかったけど、Lhasaツアーでkojiのピックを取れたのは本当にうれしかった。 大人になってからは、GuitarStudyやALvinoのライブによく行った。常に向上心をもち、高みを目指し、挑戦し続けるkojiの姿勢にまた夢中になった。そんな時、ラクリマの再結成があって、また5人が見れて、心からうれしかった。ラクリマの音楽、kojiの曲はいつ何度聞いても、ワクワクするし、安心できる。今でも唯一無二の存在。再結成ライブの最後に流れたHomeSweetHomeは、私にとってkojiたち5人の音楽。これからも心の拠り所だし、尊敬する姿としてkojiを想っています。
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- KOJIさんへ
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ギタリストとしてKOJIさんを知り、ALvinoを聴くようになり、遡ってLa'cryma Christiも聴くようになり、気付けばKOJIさんの創る歌に、奏でるギターの音に、たくさんの力をいただいていました。そして今でも聴き続けています。 初めて握手していただいた時の緊張と、大きな暖かな手と、この手があの音を奏でているんだという感動は忘れることがありません。 眉を寄せて笑うKOJIさんの笑顔が大好きでした。 遠い国のKOJIさんに、この手紙が、沢山の人の沢山の想いが、どうか届きますように。KOJIさんが今、笑顏で好きなだけギターを弾いていてくれますように。
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- がんばってます。
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早いものでもう1年経つのですね。 もうキラッキラの笑顔でキダーを楽しそうに弾く姿をライブで見ることができないということに寂しく思います。 ちょっとした時にKOJIさんを思い出し、今は向こうで好きなだけギター弾けているかな?私もがんばってるよと空に向かって心の中で思っていたりします。 はじめてKOJIさんに出会った頃よりも私もたくましくなり、たくさん笑えています。 けど、迷った時不安になった時思い出すのはKOJIさんの姿。今でも支えてもらっています。 いつまでも私の中の光です。 本当にありがとう。