潤
- 2024.03.07
KOJIと初めて出会ったのはPIERROTが事務所のSweet Childに入った頃です。KOJIがPIERROTのライブにもよく顔を出すようになって、楽屋か打ち上げで話したのが初めてですね。
ALvinoは最初、PIERROTと並行してやろうと思っていました。PIERROTではポップ過ぎて使えなかった曲が結構溜まっていたので、それを発表する場が欲しいと思ってメンバーを探していたら、周りのスタッフ数人から「KOJI君とやれば?」と言われて。1人からならまだしも、何人にも言われたので、これは何かあるな、と思って、曲を持ってKOJIの家に行きました。
KOJIも La’cryma Christiを抜けた後で結構曲が溜まっていて、それをお互いに聴かせあって、良い感じだね、となったんです。
その後、ヴォーカル探しをするんですけど、なかなか良い人が見つからなくて、2005年いっぱいまでに見つからなかったらこの話はなかった事にしようという感じにしていたら、その年の11月にShotaが現れたんです。彼は北海道のAIR-G’というFM局主催のコンテストで優勝したバンドのヴォーカルで、2人の中で「こいつは何か持ってるな」という感じがありました。
俺とKOJIは事務所に所属して大きな会場も沢山経験してきてますけど、お互いが育ったバンドの環境も全然違いますし、Shotaはキャリアも少ない中でやっていたので、その3人が
同じステージでやっていくのはなかなか大変でしたね。
俺らの世代からすると、La’cryma Christiはテクニカルバンドというイメージが強くて、KOJIは凄くギターが上手いと思っていたので、俺も練習しなきゃと思っていました。実際一緒にやってみて、やっぱり凄いなと思いましたし、KOJIはとにかくギターが大好きなんですよ。機材も大好きだし、そういう意味では影響を受けました。
俺は、以前はギターをツールとして使ってる感じだったんですけど、今はギターが大好きになりましたし、全然持ってなかったエフェクターも、今は沢山持っています。KOJIはライブごとに機材を変えたりしていたので、それをずっと見てきて影響されたんでしょうね(笑)。
KOJIはLa’cryma Christiの最後の頃はエンジニアもやっていたみたいなので、レコーディングの知識も凄くあったし、何でも器用に出来ましたね。
ALvinoが事務所を離れる事になった時、KOJIに呼ばれて3人で集まりました。「今、事務所がない状態になったけど、どうする?」って。「ALvinoを最後のバンドにしたいと思ってやってきたし、これからもそうしたいと思ってるけど、2人からはそれを感じない。ちゃんと話をしてくれ。」と言われて。それで、それぞれ思いの丈を語って、それならこれからもやって行こう、となったんです。俺は当時、バンドの運営とか苦手な人間だったので、KOJIはヤキモキしたんだと思います。ストレスも溜まっただろうし。
そのうち、KOJIは会計的な事やCDの製作、コンサートの運営等、何でも1人でやるようになったんですけど、そういうのって得意、不得意ってあると思うんです。人に任せるのが出来ない人だったので、だったら無理に事務的な事を手伝っても仕方ないので、自分がやれる事をやろうと思ってグッズのデザインをしたり、曲や詞も率先して書いていました。それでもKOJIには不満があったと思います。
Shotaの喉の状態が厳しくて続けられないという話になって、KOJIからどうしようと言われました。新しいヴォーカルを探さないか、と。
俺は「それだともうALvinoじゃない」と言ったんです。それが彼には効いたのか、もう何も言わなくなりました。
そして、活動停止する半年ぐらい前にKOJIから活動を停止しようと言って来たんです。無理して続けなくて良いよって…。それまで俺もShotaも必死にやっていたんですけどね。
ALvinoは2018年に活動停止をしました。
2018年3月17日に日本橋三井ホールでラストライブをやった時、正直これが最後になるのはもったいないなと思いました。やれるんだったら、やった方が良いのかな、と。
ラストライブの後に、最後のファンクラブ旅行に行ったんですけど、KOJIとは別々の車だった事もあって会話もそれほどなくて。
KOJIに会ったのは、それが最後です。
ALvinoが活動停止後、2回だけKOJIとLINEをしました。1回目は、俺が倉庫にギターを置いたままだった事を気がついていなくて、取りに来て欲しいという内容でした。でも、ずっと行けなくてKOJIが亡くなるまで取りに行かなかったんです。
2回目は、癌のことをKOJIがTwitterで発表した時、俺がコメントしたらLINEで返事をくれて。「ありがとう、頑張るよ」と。
その時は絶対死なないと思っていました。
あんなに強い奴が死ぬなんて思わないですよ。
だから亡くなったって聞いた時は本当にびっくりして、受け入れられなかったです。正直、何処かにいるんじゃないか?と思う事は今でもあります…(笑)。
同い年で一緒にバンドをやったのもKOJIが初めてだったので、ずっとお互いに対抗意識みたいなのが何処かにあって、最後までどちらも譲らなかったな(苦笑)。
俺の心の中では、KOJIとの関係性は何も変わらないです。
でも、ちょっと早いですよね。
昔、KOJIは冗談で「俺は50歳ぐらいで死にたい」って言ってたんです。この世の中は大変だからって…。でも、本当に逝くなよって、思いましたね。
ALvinoはLa’cryma ChristiとPIERROTというバンドの2人が出会った事から始まったバンドだったし、バンドなので、いろいろな事はあったんですけど、大切な時間でしたし、自分の音楽人生の中で無くてはならない時間だった事は確かです。
さっきも言いましたが未だに何処かにKOJIがいそうな気がしているので、怒られないようにしたいですね…すぐ怒るから(笑)。
今でも何処かにいると思ってますよ。亡くなった人を忘れると、その人がもう一回死ぬと言われますけど、自分の脳が忘れないようにさせているんでしょうね。夢に出て来たり…。
と言うか忘れないですよね、あんな強烈なキャラクターの人。天国があるならばあちらでも「何やってんねん」て言いながら彼らしくギターをかき鳴らしてるのが目に浮かびます(笑)。
潤